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〈小沢健二〉の文化学―現代日本のJポップの可能性

6月2日(土)、早稲田大学の戸山キャンパスに

“早稲田大学多元文化学会シンポジウム 「文化論入門としてのポップ・カルチャー~多元文化のなかで~」”

というイベントを拝聴しに行ってきました。なぜ夜勤明けの眠たい目を擦りながらそのようなものに参加したかというと、内容の一つとして「〈小沢健二〉の文化学-現代日本のJポップの可能性」というものが論じられると伺ったので。



まぁ、そもそも早稲田大学といえばオザケンが東大に入る前に籍を置かせていただいた大学であるし、さらにその中でも文学部が入る戸山キャンパスは私の好きな作家の村上春樹(早稲田大学第一文学部映画演劇科卒)が7年間もいた(笑)場所。オザケンの東大、桑田佳祐&原由子の青学と並んで一度は中を見てみたい大学でありました。

村上の小説「ノルウェイの森」のシーンを頭に思い出しつつ、キャンパス内をぶらつくのも悪くない思って早めに家を出たのですが、途中東京メトロの乗り継ぎに迷って大学に着いたのがシンポジウム開始の30分前。ぶらぶらする時間は無いと思って会場となる部屋に向かいました…が、それはプレハブ建ての建物の一室、少し大き目の会議室のような場所でした。ちょっと落胆…いや、私が勝手にいかにも大学的な長い机と椅子、後方に行くにしたがって段々になっているような大教室を想像していたからいけないのですが…これじゃ、眠くても居眠りしちゃったらバレバレです(笑)

いや、というか、そもそも開始30分前なのに私が一番のり。他に誰もいない…大丈夫なのか、このシンポジウム!



と思ってたら割とぎりぎりになって人が入ってきました。全員で100人いたかどうか。ほとんどが早稲田の現役の学生さんと先生方で、私のような外部からの一般の参加者は少人数だったようです。

案の定、シンポジウムが始まった途端に強烈な眠気が。なのでオザケン以外のテーマ(「現代中国における海外ポップカルチャーの受容-ロックを例にして 」「戦後のイギリス社会におけるロックとポップの政治学」)のお話は眠気を堪えるのに必死であまりよく聴いておりませんでした。

ふと、配布された資料から目を上げたとき女子学生さんと目が合ったのですが、その娘の肌がツルンとして真っ白で奇麗なこと!村上春樹なら「今まさにそこで作られたような」なんて表現をするでしょう。男子学生はといえば、2時間近くも遅刻してきたのに友達のグループに加わろうと混んでる場所にわざわざ入ってくる。別に必修じゃないだろうに。一人じゃ聴けないのだろうか?うーん、なんか男子も女子も

大学生ってまだ子供!

って思っちゃいました(笑) 君らに小沢健二がわかるかい?…なんて(笑)

でも、よく考えたら彼らはもしかしたら僕より20歳くらい年下だったりするのだ。逆に青いアロハシャツなんか着て目が血走ったアラフォーの僕をどう思って見ていたのだろう?

ようやく小沢健二のテーマの時間になり、早稲田大学・文学学術院助手の柿谷浩一氏が話し始める。おそらく30代の方。申し訳ありませんが私はお名前を存じ上げておりませんでしたが、小沢健二をものすごく愛していらっしゃるのが伝わってくる方でした。

発表の内容を全て文章にまとめるのは大変なので、ポイントを箇条書き風に書かせていただきます。専門的な分野について知識不足ゆえに意味の取り違いがあるかもしれませんがご容赦下さい。
①小沢健二は「ミュージシャン」ではない。90年代から現在まで彼は一貫して「表現者」であり続けている。

②1998年の「春にして君を想う」リリース以降メディアから消えたが、それからのブランクをどう読むかが今の小沢健二を理解するポイントである。

歌詞の変更に関連して

③スーザン・バスネットが「トランスレーション・スタディーズ」という本の中で“翻訳とは異文化と異なる時間との間のコミュニケーション行為である”と述べている。「愛し愛され生きるのさ」の歌詞“You′ve got to get into the groove” が「ひふみよ」コンサートから“我ら 時を 行く”に変更されたが、小沢のこのような歌詞の変更も大きな意味において文学作品や芸術作品の翻訳と同様のものであると捉えられるのでは?

④最前線の音楽理論の中では、テクスト(文章)の生産や変容は、文化の中での何らかの対話であるとよく言われる。

⑤リンダ・ハッチオンが「パロディの理論」という本の中でパロディしたものとパロディされたものとの二重性について述べている。また、「アダプテーションの理論」という本の中では“ファンの心地よさとは反復を楽しむ安心感と、ちょっと変えられた差異を見つける発見の喜びにある”と述べている。小沢健二の歌詞の変更もファンにとってそのようなものに繋がる。

歌詞・言葉の前傾化

⑥90年代、小沢健二の音楽はパクリの連続と言われた。過去のさまざまな音楽からサンプリングの手法で取り入れられている。そのようなパクリのパッチワークのような音楽の中で、歌詞は(サウンドよりも)前面に出て重要なものになる。

⑦1995年頃、小沢健二は「早口」のイメージがあった(森永ダースのCMのセリフ、ライヴ・ビデオ「ヴィレッジ」の冒頭のナレーション、「ドアをノックするのは誰だ?」の“誰かにとって特別だった君をマークはずす飛びこみで僕はサッと奪いさる”の歌詞など) 早口だからこそ「小沢は何を言っているのだろう?」と我々は彼の言葉に耳を澄ますようになる。

1995年リリースのシングル・ジャケット

⑧1995年リリースのシングル「強い気持ち・強い愛」「ドアをノックするのは誰だ?」「戦場のボーイズ・ライフ」「さよならなんて云えないよ」「痛快ウキウキ通り」の5枚はジャケットの写真が全てオザケンの顔が前面アップになっていて、イメージの作り方が徹底していた。

15年後の歌詞のアレンジ

⑨「愛し愛され生きるのさ」の歌詞“You′ve got to get into the groove”が“我ら時を行く”になり、「ラブリー」の歌詞“Lovely lovely way,can’t you see the way ? it’s a”が“Lovely lovelyで 完璧な絵に似た”に変更になった。このような英語から日本語への歌詞の変更は、現代のグローバリゼーションの中に見られるローカリゼーションの動きによってもたらされた。小沢が歌詞を変えたのではなく、文化が歌詞を変えたのである。

…だいたいこのような内容でした。柿谷氏の発表は40分くらい。時間が足りなくてまだまだ話し足りない様子でした。たぶんこの方は小沢健二を語らせたら一日中話せるくらいの方だと思いました。最後に、「もしまたライブがあったら是非観に行ってほしい」と早稲田の学生さんに仰ってたのが印象的でした。

*講義の内容にさらに興味を持たれた方は当日配られた資料を差し上げますのでご連絡下さい。

オザケンの発表をされた柿谷氏は「日本原発小説集」という本の編者であるらしいです。お若いながら硬軟両方に通じた方のようです。

日本原発小説集日本原発小説集
(2011/10)
井上 光晴、豊田 有恒 他

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